小笠原諸島・父島の玄関口、父島二見港。
二見湾にある港だから『二見港』なのですが、この『二見』という地名、実は日本の聖地・伊勢の二見浦(ふたみがうら)に由来しているのです。
小笠原在住歴20年を超える私が初めて島を訪れたときに感じた『何がふたつ見えるのだろう?』という疑問。
同じように感じる方も少なくないのではないでしょうか?
今回はこの『二見湾』という名前の由来を紐解いてみました。
小笠原の玄関口・父島『二見湾』
東京・竹芝桟橋から1000キロ、24時間という長い船旅を経て定期船おがさわら丸が到着する二見港は、父島最大の湾・二見湾の北側に位置します。
父島の面積は約23.45㎢。
皇居を有する千代田区の約2倍という小さな島でありながら、1万トンクラスの船(現在のおがさわら丸は11000トン)が暴風雨の最中でも港に接岸できるのは、この二見湾のおかげです。
二見湾の奥に港があることで沖合の高波やうねりがブロックされるため、『船が港に着けられない』というトラブルが回避できているのです。
『二見湾』地名の由来は伊勢の『二見浦』
二見浦の『夫婦岩』に類似する一対の岩
日本最大のパワースポット『伊勢神宮』についてはご存知の方も多いと思います。
広く知られている参拝の作法やマナーに加えていくつかの風習があり、『浜参宮』(はまさんぐう)と呼ばれる、参拝前のお清めもそのひとつです。
神宮の西側にある二見浦(ふたみがうら)の『夫婦岩』沖合700mの海中には神が降臨してきたと言われる『興玉神石』(こしたまかみいし)が鎮まっていて、古来より伊勢神宮参拝前にはここで沐浴し、身を清めるという習わしが行われていました。
この二見浦にある『夫婦岩』と似ている岩が父島の湾内にあることから、『二見湾』と名付けられたのです。
戦後の復興事業により行われた工事で、この岩は現在『赤灯台』の立つ防波堤の一部となっています。
お陰参り(おかげまいり)の流行と小笠原開拓の再開
幕府が小笠原諸島の存在を知ったのは1670年、江戸時代の徳川将軍第四代・家綱の頃です。
幕府は、阿波の国(徳島県)のみかん船が母島に漂着したことから小笠原の存在を知り、その5年後には小笠原探索が行われるのですが、その後しばらくは放置されている状態でした。
幕府が小笠原の開拓と調査のために咸臨丸という船で外国奉行を派遣したのは、江戸時代末期の1861年。
『お陰参り』と呼ばれる伊勢神宮への集団参拝が流行した直後のことです。
神石を拝む夫婦岩の鎮座する二見浦という名称にあやかって『二見湾』と名付けたくなる気持ちも、理解することができますね。
二度振り返るほどの絶景だから『二見』
『二見浦』が二見と呼ばれる所以は、古墳時代以前の皇族である倭姫命(やまとひめのみこと)がこの地を訪れた際に、あまりの美しさに二度振り返ったことからそう呼ばれるようになったとも言われています。
父島・二見湾も、二度ならず何度も振り返りたくなるような美しさです!
二見湾を一望できる展望台『大神山パノラマ展望台』への行き方などについては、こちらを参考にしてみてください↓↓↓
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二見湾を見守る『大神山神社』
『二見湾』という名称が、日本の聖地・伊勢に通じていたという『神』つながりを、もうひとつご紹介します。
定期船・おがさわら丸の停泊する岸壁北側の山から二見湾を見守る『大神山神社』
こちらの神社で祀られている神様は、伊勢神宮と同じ天照大御神(あまてらすのおおみかみ)です。
『二見』という地名だけでなく、お祀りする神様も伊勢に通じてお迎えしたという先人たちの想いを胸に、参拝してみるのはいかがでしょう。
大神山神社の社務所が開所しているのは以下の通りです。
おがさわら丸出港日:午前9時~午後2時
ゴールデンウィークや夏の着発運航時:基本的に午前9時~午後4時
※宮司さんがおひとりなので、昼食などで席を外していることもあります
※おがさわら丸出港日、宮司さんは扇浦の「小笠原神社」にお勤めしています
御朱印をいただけるのも、この時間帯になります。
御朱印を集めている方はぜひ、御朱印帳を持参してお出かけくださいね。
まとめ
大自然があふれる島ゆえに、『パワースポット』と呼ばれることも多い小笠原諸島。
日本最大のパワースポット・伊勢神宮にあやかった地名を持ち、その神宮と同じ神さまをお祀りしている神社。
『小笠原に来ると元気になれる』と言って足しげく通う観光常連客の方々は、そのパワーを存分に感じているのでしょう。
小笠原を訪れた際にはぜひ、大神山神社の展望台から二見湾を一望してみてください。
遠い昔、『二見浦』であまりの絶景に二度も振り返った倭姫命(やまとひめのみこと)に通じる想いに包まれるかもしれませんよ!
小笠原旅行の計画は、こちらを参考にしてみてくださいね♪**↓↓↓
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