小笠原でサメの研究をしていた、ひとりの大学生と出会ったのは、もう20年以上前のことです。
当時の私は、島で獲れるサメを食材としてどう活かせるかを友だちと一緒に考えながら、試作を重ねる日々を送っていました。
「若い女の子がサメの研究をしているらしい」
そんな噂が広がると、小笠原水産センターの職員さんや漁師さんたちは、驚きながらもどこかうれしそうに協力していたのを覚えています。
海とともに生きるこの島では、サメは怖い存在というより、とても身近な存在です。
私はサメの生態や栄養価を調べるうちに、サメの「肝臓」に興味を持つようになります。
そして、よく解剖をしているという噂の彼女に、サメの肝臓をわけてもらえないかと相談を持ちかけたのです。
それが、のちにシャークジャーナリストとなる 沼口麻子さん との最初の出会いでした。
それから20年以上の時が流れ、彼女はサメを伝える仕事を続けながら、再び小笠原を訪れるようになります。
そしてある日、偶然立ち寄った私のキッチンカーカフェで、私たちは再会しました。
いま彼女は、サメに親しみ、正しく知ってもらうための「サメ博物館」をつくるという大きな挑戦に取り組んでいます。
この島で始まった小さなご縁が、いま未来につながろうとしている——
今日はここ小笠原から、その挑戦を応援したいと思います。
小笠原で出会った、サメに夢中な大学生
彼女が初めて小笠原に来たのは、大学生の頃だったと聞いています。
サメの研究をするために、何度も島へ足を運び、海に潜り、資料を集めていました。
小笠原では、サメは「身近な食材」という存在ではありません。
延縄(はえなわ)漁のしかけに引っかかることはあっても、漁師さんにとっては正直なところ「邪魔な存在」。
食文化として根づいているものではありません。
そんな中で
「せっかく獲れるのだから、捨ててしまうのではなく、何かに活かせないだろうか」
と考えた人がいました。
観光客向けのおみやげとしてサメを加工するというアイデアが生まれ
「燻しジョーズ」というサメの燻製を作るようになります。
ちょうどその頃、ここ父島では
「若い女の子が、サメの研究のために島に通っているらしい」
という話が、少しずつ広がっていました。
東京都の施設である小笠原水産センターの職員さんや、日々海と向き合っている漁師さんたちは、
最初は驚きつつも、彼女の真剣な姿勢に心を動かされ、できる範囲で協力していたようです。
サメを
「やっかいもの」として扱うのではなく
「知ろうとする存在」として向き合う彼女の姿は、島の人たちにとって新鮮に感じられたのでしょう。
私自身は、燻製の商品づくりを引き継いだ友だちから
「身として使われない血合いや皮などの部位を利用できないか」
と相談され、家庭料理のレシピを考えて試作をくり返していました。
いろいろ調べているうちに、サメの生態や栄養価についても興味を持つようになります。
そうして関心が深まるなか、私が強く興味を持ったのが「サメの肝臓」でした。
そんなときに耳にしたのが、「サメの解剖をよくしている大学生がいる」という話です。
サメの肝臓を分けてもらえないかと相談したのが
シャークジャーナリスト・沼口麻子さんとの、最初の出会いでした。
「燻しジョーズ」と、サメを「食べる」という視点
「燻しジョーズ」は、もともと島にあった食文化から生まれたものではありません。
延縄(はえなわ)漁に引っかかり、邪魔者として扱われがちだったサメを
「せっかく獲れるのなら、捨てずに食べようよ!」
というアイディアから生まれた、観光客向けのおみやげでした。
その水産加工品の製造を引き継いだのが、私の友だちです。
彼女も小笠原の海が大好きで、ドルフィンスイムのガイドとして働いていたこともありました。
当時私が住んでいた場所が、彼女の加工場のすぐ近くだったので、よく遊びに行っていました。
ある日
「これで何かつくれないかなー」
と差し出されたのが、燻製の材料として使われる以外の部分
――血合いや皮など――
せっかくいただいた命、食べられる部分は全部食べないと申し訳ない(> <)
創作料理が好きな私はそれらを持ち帰り、南蛮漬けやスパイスカレーを作っては試食会をしていました。
その様子は、小笠原自然文化研究所が当時発行していた「季刊誌 i-bo」(アイボ)に掲載されたことも( *´艸`)

季刊誌 i-bo 第8号 2003.03

サメの肝臓を食べたい!
独特の臭みを持つサメの血合いに近い食材の調理法を調べたり
サメの皮でスープの出しを取っているというラーメン屋さんの話を耳にしているうちに
調べる方向が広がっていった私は
「サメの肝臓」に興味を持つようになります。
「サメの肝臓から取れる油には、血液をさらさらにする効果がある」
そんな記事を読んだからです。
子どもの頃に「肝油ドロップ」を食べていたことも思い出し、サメの肝油についていろいろと調べ始めた私は

サメの肝臓、食べてみたい!
「燻しジョーズ」の彼女にそう伝えました。
漁協から仕入れる際、内臓は取り除かれている。
でも、よく解剖しにきている大学生がいるから、その子に頼めば手に入るかも。
そう聞いて水産センターへ出向き
「次の解剖のときに、肝臓を少しわけてもらえませんか?」
そう声をかけた大学生が、当時「サメ子」と呼ばれていた沼口麻子さんだったのです。

季刊誌 i-bo 第8号 2003.03
この何気ない出会いが
20年以上のときを超えて、新たなご縁の始まりになるとは・・・そのときは思ってもいませんでした。
20年以上の時を経て、再び小笠原で
「肝臓の出会い」から、20年以上の月日が流れました。
彼女はサメの研究を続け、その魅力や現状を伝えるシャークジャーナリストとして活動するようになります。
論文の世界だけでなく
一般の人や子供たちに向けて
サメを「怖い存在」ではなく、正しく知り、考えるべき生きものとして伝える仕事です。
そしてあるとき、
サメに親しんでもらうための子供向けイベントで、彼女が再び小笠原を訪れることになりました。
その再会は、事前に約束していたものではありません。
ふらりと立ち寄った先が、たまたま私のキッチンカーカフェだったのです。
顔を見た瞬間に
「あ……サメ子!?」
言葉より先に、あの頃の記憶が一気によみがえりました。
大学生だった彼女が、真剣な表情でサメを解剖していたこと。
解剖の合間に、肝臓のことを相談した、あの少し緊張した時間。
それらが、走馬灯のように頭のなかを巡ります。
それ以来、彼女が小笠原に来るときには、連絡をくれるようになりました。
仕事の合間に、観光の途中に
私のカフェにも、ふらりと顔を出してくれます。
特別な約束があるわけではありません。
けれど
20年以上前にこの島で交差した時間が、
いまも静かに続いているのだと感じさせてくれる関係です。
次に彼女が語りはじめたのは
「もっと多くの人に、サメのことを知ってもらいたい」という想いでした。
その言葉はやがて
「サメ博物館」をつくるという、大きな挑戦へとつながっていきます
小笠原とサメの、いま
小笠原諸島は、多くのダイバーにとって特別な場所です。
その理由のひとつが、「シロワニ」と呼ばれるサメの存在。
シロワニは、見た目の迫力とは裏腹に、比較的おとなしいとされるサメです。
世界的に見ても
安定してシロワニに出会える場所は限られていて、
小笠原はその数少ない場所のひとつとして知られています。
そのためこの島には
「いつかシロワニに会ってみたい」
「同じ海に潜ってみたい」
そんな想いを抱えたダイバーたちが、世界中から集まってきます。
一方で、サメはいまも
「怖い存在」
「危険な生きもの」
として語られることが多い存在でもあります。
実際の生態や、海の中で果たしている役割が、十分に知られているとは言えません。
小笠原では、シロワニをはじめとしたサメの生態についての研究も行われています。
それは
ダイビングという観光資源としてだけではなく、
海の生態系を守るためにも、欠かすことのできない取り組みです。
サメは、海の中で食物連鎖の上位に位置する存在。
そのサメが減ってしまうことは、海全体のバランスが崩れていくことを意味します。
「怖いから遠ざける」のではなく
「知ること」
「理解すること」が
結果として、海を守ることにつながっていく――
小笠原で海と向き合っていると、そんなことを実感します。
かつて、この島にサメの研究で通っていた大学生がいました。
いま、その人は島に講演者として戻り、サメの話を人々に伝えています。
小笠原という
サメと人との距離が近い場所で育まれた経験が、
次の世代の研究者や、サメに興味を持つ人たちへと、静かに手渡されているのです。
サメを知ってもらうために、博物館をつくるという挑戦
サメについて語られるとき
「怖い」
「危険」
「近づいてはいけない」
そんな言葉が先に並ぶことは、決して少なくありません。
けれど
実際のサメはどういう生きものなのか。
なぜその姿かたちをしているのか。
海の中で、どんな役割を担っているのか。
そうした基本的なことを、私たちは意外と知らないまま過ごしています。
シャークジャーナリストとして活動する沼口麻子さんは、
研究者としての視点と
伝える立場としての経験
その両方を通して
「サメをもっと身近に感じてもらえる場所が必要だ」と考えています。
図鑑や映像だけではなく
実物を見て、触れて、話を聞いて、質問ができる場所。
子どもも大人も、
専門知識がなくても
「ちょっと面白そう」
「知ってみたい」と思える入り口。
それが、彼女が目指しているサメ博物館です。
この博物館は、サメをただ展示する場所ではありません。
サメの生態や進化、
研究の現場、
サメを取り巻く海の環境についても学べる場所として、構想されています。
さらに麻子さんが強く願っているのは
「サメの研究者を増やしたい」ということです。
かつて
小笠原でサメに出会い、研究に夢中になった大学生がいたように
どこかで、サメに心をつかまれる若い人が現れるかもしれない。
そのきっかけとなる場所を、未来に残したい。
小笠原で積み重ねた経験と、ご縁。
島で育まれた「知ることの大切さ」という感覚が、
いま、宮城という場所で形になろうとしています。
小笠原から、サメ博物館クラウドファンディングを応援します
今回、沼口麻子さんが立ち上げた「サメ博物館」をつくるためのクラウドファンディング。
その話を聞いたとき、私はとても自然に
「応援したい」
と思いました。
それは、20年以上の付き合いがあるから、という理由だけではありません。
小笠原で、サメに向き合い続けてきた彼女の姿を知っているから。
そして
サメを「怖い存在」で終わらせず
「知ることで、世界の見え方が変わる存在」として、伝え続けてきたことを知っているからです。
かつて、研究のために何度も島を訪れていた大学生。
島の人たちに支えられ、海に潜り、解剖を重ね、サメを学び続けた彼女は
いま
サメの未来をひらく場所をつくろうとしています。
ここ小笠原は
シロワニをはじめとしたサメたちが、すぐそばを泳ぐ場所です。
サメは遠い存在ではなく、同じ海を共有する、生きもののひとつ。
だからこそ
この島で生まれたご縁が
サメを知るための場所づくりへとつながっていくことに、私はとても大きな意味を感じています。
クラウドファンディングは
必ずしも「支援する」ことだけが参加の形ではありません。
こんな取り組みがあることを知ること。
誰かにそっと話してみること。
それもまた、応援のひとつだと思っています。
もし、サメのことを
「ちょっと怖いな」と感じている人がいたら。
「実は、少し気になっている」という人がいたら。
このプロジェクトが、
サメを知るきっかけになれば、うれしいです。
小笠原の片隅から
20年越しのご縁とともに
サメ博物館という挑戦を、静かに応援しています。
もし
この物語のどこかに、少しでも心が動く瞬間があったなら。
よければ、沼口麻子さんの挑戦をのぞいてみてください。
↓↓↓
「学べる・泊まれる”サメ学習拠点”」-未来のサメ博士を育てる-
さいごに
ここ、小笠原の海で
サメに夢中な大学生と出会った日から、20年以上が経ちました。
あの頃の時間は
消えてしまったわけではなく、
いまも形を変えながら、静かに続いているのだと思います。
サメを知ろうとすること。
海のことを知ろうとすること。
そして、人の挑戦を応援すること。
それらはすべて
未来へつながる、ちいさな選択となることでしょう。
小笠原から
海とともに、想いをこめて(。’-‘)
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